
■ 中津市ってどんな所?
■ 中津市および周辺地図(Mapion)
中津の市民生活 統計数字から見たアウトライン
| 摘要
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数値 |
備考
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| 総人口
|
86340人
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H19/8
|
| 世帯数
|
35600世帯
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H19/8
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| 男
|
40810人
|
H19/8
|
| 女
|
45530人
|
H19/8
|
| 人口密度
|
175.8人/1KM2
|
*
|
| 医師の住民に対する割合
|
1人/480.5人
|
*
|
| 病床の住民に対する割合
|
1床/49.3人
|
*
|
| 渇水による時間給水
|
0時間
|
直近10年間の合計
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| 火災
|
1件/5.9日
|
*
|
| 犯罪
|
3.4件/1日
|
*
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| 交通事故
|
1.6件/1日
|
*
|
|
|
|
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学校
医療施設
| #
|
病院
|
診療所
|
医師
|
病床
|
歯科医院
|
歯科医師
|
薬局
|
| 数
|
11
|
81
|
171
|
1756
|
46
|
53
|
33
|
製造業の動向
| #
|
H12年 |
H13年 |
H14年 |
H15年 |
H16年 |
H17年 |
| 事業所(箇所)
|
205
|
182
|
174
|
179
|
182
|
185
|
| 従業者(人数)
|
7713
|
7148
|
6675
|
6959
|
7215
|
8861
|
| 出荷額(億円)
|
1530
|
1431
|
1377
|
1605
|
1655
|
2521
|
地目の比率 (中津市の総面積 49.108KM2)
| 地目
|
面積割合 |
備考
|
| 耕地
|
8.7%
|
*
|
| 林野
|
77.4%
|
*
|
| 宅地
|
3.6%
|
*
|
| その他
|
10.3%
|
*
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中津の自然 山紫水明、気候はおだやか
気象
気温と降水量 (単位;℃ mm 赤字はマイナス数値)
| 摘要
|
1月
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2月
|
3月
|
4月
|
5月
|
6月
|
7 月
|
8月
|
9 月
|
10月
|
11月
|
12月
|
| 平均気温
|
5.2
|
5.1
|
8.8
|
15.6
|
19.2
|
24.7
|
27.6
|
27.8
|
25.7
|
19.2
|
13.5
|
4.9
|
| 最高気温
|
13.6
|
15.2
|
19.1
|
31.0
|
28.6
|
34.4
|
34.9
|
35.8
|
33.6
|
29.0
|
23.3
|
16.1
|
| 最低気温
|
1.1
|
2.4
|
0.1
|
4.2
|
6.1
|
14.9
|
21.0
|
20.3
|
16.5
|
10.0
|
5.2
|
4.2
|
| 降水量
|
47.5
|
87.0
|
61.5
|
26.5
|
68.0
|
17.0
|
278.5
|
46.5
|
305.0
|
27.0
|
80.0
|
16.5
|
最近6年間の台風来襲数 (九州北部に上陸または接近した台風の数)
| #
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H12年
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H13年
|
H14年
|
H15年
|
H16年
|
H17年
|
| 回数
|
2
|
0
|
5
|
5
|
4
|
1
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中津散策 お休みの日が待ち遠しいな
お散歩スポットのご案内
市内の温泉ご案内
市内源氏ホタル名所のご案内
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中津自慢 中津は歴史のある町です
鎌倉時代からの人形浄瑠璃 (北原人形芝居)
中津市北原の原田神社では毎年2月第1日曜日に北原人形芝居が奉納されます。一般的には人形芝居は江戸初期に生まれたとされていますが、北原人形芝居は鎌倉時代に源を発し、大変古いものです。明治時代には九州一円を巡回公演するほど盛んでした。しかし戦後は消滅状態、平成になってようやく復活の兆しが見えて来ました。人形は通常3人で遣いますが、北原にはこれを1人で遣う素晴らしい「はさみ遣い」という技法があり、その伝承を受け継いだ芝居は一見の価値があります。
中津出身の先駆者中津には歴史に残る先覚者が輩出しています。挙げて行けば教育者・医学者・実業家など多人数にのぼります。この中から何人かを選び出すのは難しい作業ですが、独断をお許し頂いて4人だけご紹介しましょう。いつかは実際に彼らの足跡をたどって見て下さい。
福沢諭吉
江戸末〜明治の思想家・教育者。
最初蘭学を学んだが時代を悟って英学に進む。欧米に3度、幕府使節に随行して渡る。当時としては異例なほど平明な思想の持ち主で慶應義塾を創設するなど啓蒙活動を行った。「学問のすすめ」「文明論之概略」他を著作。 |
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前野良沢
江戸中期の蘭学者、中津藩医。
蘭学の開祖といわれた。オランダの医学書「ターフルアナトミア」と実際の人体の整合性に感激して翻訳を決意、杉田玄白らと苦心を重ねて「解体新書」を著したが訳文の不備をみずから満足せず、学者の良心から著作者として名を連ねなかった。その潔癖さが彼の学者としての能力を物語る。 |
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廣池千九郎
明治期から昭和期の教育者、法学博士、麗澤大学・モラロジー研究所の創設者。
中津市学校で学び、26才で「中津歴史」を著す。「古事類苑」の主席編集者。モラロジー(道徳科学)の研究に取り組んだ。 |
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島田虎之助
江戸後期の剣術家。
彼の言葉「剣は心なり」は有名。大政奉還の際、主戦論者達を押切り江戸無血開城の大任を果たした勝海舟は若い頃彼の門下生であった。虎之助は単なる剣術使いではなく、勝に禅や蘭学の習得も薦める幅の広さがあった。江戸開城の時、勝の胸に「剣は心なり」の言葉が鳴り響いていたのだろうか。 |
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